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長泉院 (目黒区) : ウィキペディア日本語版
長泉院 (目黒区)[ちょうせんいん]

長泉院(ちょうせんいん)は、東京都目黒区にある浄土宗の寺院、江戸時代の浄土宗律院。山号は高峯山。
== 歴史 ==
草創は1761宝暦11)年。開山は増上寺第45代大玄とされるが、彼は律院(僧侶教育のための寺院)の創立を願ったまま1756(宝暦6)年に死去した。律僧の不能は大玄の遺志を継ぎ、当時は武蔵国多摩郡に存在し無住の寺院だった長泉院を、増上寺の所領である目黒の地に移すよう願い出て許可された。不能もこの許可が下りた直後1762(宝暦12)年に没し、新たな住職には普寂が就任した。これらの経緯から、「普寂が実質的な初代住職であった」とされる〔西村玲「徳門普寂 -その生涯(1707-1781年)- 」『インド哲学仏教学研究』14、pp.87-99、2007年、東京〕。
普寂は1766明和3)年に和泉国の心蓮寺から本尊を譲り受け、翌年には本堂を建立している。1772安永元)年、北川氏によって鐘および鐘楼が建てられた。
1781天明元)年、普寂没後に堯雲が第四代住職となっている。1786(天明6)年には増上寺によって「長泉院定規」が出され、律僧が円頓戒を授けることや、一向宗素性の者および売買・法買・名利之輩が寺内に立ち入ることを禁じられた。西村玲は、長泉院の律僧が宗団の制御を離れて混乱したのではないかと推測している〔西村前掲論文p.97。〕。
小説家武田泰淳は、養子となった先の実家が長泉院であり、彼自身も一時期住職となっていた。現在彼と随筆家武田百合子夫妻の墓所が同寺にある。
※歴代諸上人碑に名が彫られていない(要確認)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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